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まちとともに育ったレガシーの継承、未来へ繋ぐ東急歌舞伎町タワー

2023年4月、日本随一の「エンターテイメントシティ歌舞伎町」にふさわしい施設が開業しました。それが東急歌舞伎町タワー(以下、歌舞伎町タワー) です。アフターコロナのタイミングにあわせて華々しく開業したように見えた歌舞伎町タワーですが、開業までにはコロナ禍で先行きが見えない中で、地道な計画変更や準備が行われていました。
今回、歌舞伎町タワーの開発担当者、東急株式会社の飯沼さんと田中さんに新施設の開業に至る経緯と込めた想いを取材しました。

地元と一体で「エンターテインメントシティ歌舞伎町」を立て直す―歌舞伎町タワーがオープンしたきっかけとは

田中さん
第二次世界大戦の空襲で、歌舞伎町のある新宿東部一帯は焼け野原となり、当時の町会長・鈴木喜兵衛氏がどうやってまちを立て直していくかを相談したのが、東急グループの事実上の創立者・五島慶太氏でした。
五島氏が博覧会として使用する建造物の建設を助言した後、東京産業文化博覧会が開催され、博覧会終了後には、残った建物を東急が譲り受け、都内初の屋内スケートリンクを建設しました。スケート靴のレンタルで商売が繁盛し、地域と一緒に立て直してきた歴史があります。 1956年にその跡地に新宿東急文化会館が開業し、40年後には新宿TOKYU MILANOと名前を変え、ロードショー館・新宿ミラノ座など時代に合わせたエンターテインメントを提供していきました。近隣にも劇場、映画館が開館したりと、地元の方と東急グループの間にそのDNAが受け継がれ、エンターテインメントの発信地になっていきました。

飯沼さん
鈴木氏がエンターテインメントのまちをつくろうと青写真を描く時に、東京都の都市計画課長・石川栄耀(ひであき)氏に相談しました。歌舞伎座を誘致するために歌舞伎町と命名し、盛り場理論の観点から、迷路のようなT字路の多い街路、広場がまちの真ん中にあるという西洋の都市構造を意識して、シネシティ広場を計画していきました。
こうした背景を踏まえて歌舞伎町タワーの開発計画が始まった時、歌舞伎町の歴史を大事にしようと決めました。(ある面で)ネガティブなイメージも持たれる歌舞伎町ですが、歴史を掘り返してみると、ライブハウス・小劇場などのエンターテインメントや文化、歴史がたくさんあるので、今一度リブランディングをしていきたいと思いました。

田中さん
当時の町会長の孫にあたる方が歌舞伎町商店街振興組合の理事長になるので、「昔の町内会と東急グループ」から「今の振興組合と東急グループ」へ、関係性が復活しました。観光を軸に立て直そうというところにストーリー性を感じています。

歌舞伎町タワーのポイント、ブランドロゴやデザイン、施設名に込められた想いとは

田中さん
歌舞伎町タワーは約225mあり、従前の容積率900%を都市再生特区指定により、1500%まで引き上げました。特区の大きな軸として、1つ目は「まちの核となる新たな観光拠点の創出」としてホテルおよび映画館、劇場、ライブホールなどのエンターテインメント施設を整備すること、2つ目は「まちの回遊性とにぎわいを創出する都市観光インフラの整備」として成田、羽田空港とダイレクトにつなぐ空港アクセスバスの開設や、西武新宿駅前通りのリニューアルなどを行いました。
広場にはかつて噴水があり、近くには蟹川が流れていました。さらに歌舞伎町には水の女神である弁財天が祀られていたこともあり、水をテーマとしたブランドロゴや、それをモチーフ「噴水」として継承した外観デザインが施されています。ブランドロゴについては、エンターテインメント性の表現として、音楽のイコライザーやピアノの鍵盤を取り入れつつ、噴水の要素も内包しています。
東急歌舞伎町タワーという施設名については、東急が歌舞伎町を地域の方と一緒に、「エンターテイメントシティ」として盛り上げていきたいという思いがあって、様々検討しながら名前をつけました。

“好きを極める”に秘められたコンセプトと、歌舞伎町タワーのチャレンジ

田中さん
歌舞伎町は大衆文化を大切にしてきた歴史がありますが、都市文化体験ができるホテルが少ないことから、ニーズを拾って組み立ていきました。コロナ禍で様々な価値観が変わる中で、こういう物が好き、ここに投資をしたい、といったリアルだからこそお金をかける価値に気づくことができました。

飯沼さん
新宿駅前に商業施設がたくさんあるため、ほとんど物販テナントは誘致しておりません。他施設と同様に単純にオフィス・商業物販を入れるのではなく、世界の都市間競争という中で東京に不足している要素と、歌舞伎町の立地・ポテンシャルを鑑みて、「ホテル×エンターテインメント×都市観光」の軸で挑戦していきました。

田中さん
コンセプト“好きを極める”のターゲットに関する質問をよく受けますが、好きなことへの投資は、年齢・性別・国籍は関係ない、変わらないという軸があります。コロナによって、好きなアーティストのライブを好きなアングル(の動画)で見たり、現地に行かなくてもライブを楽しめたりなど、オフラインとオンラインの組み合わせが重要であることを再認識しました。

また、歌舞伎町タワー全体を串刺しするコンセプトを体現できてきたことは大きいと感じています。例えば、『エヴァンゲリオン』は新宿ミラノ座でも上映されていたりとゆかりがあったため、歌舞伎町タワー建設中の現場でも仮囲いを使ったアート展示や隣接するシネシティ広場と連動したイベントを実施しました。また、歌舞伎町タワー開業後も「EVANGELION KABUKICHO IMPACT」という施策として、劇場での演劇や、ホテルのコンセプトルーム、映画館での関連作品の上映、ライブホールでの関連楽曲のライブを実施するなど、一つのテーマから、様々な連携・展開を図っていくことに特にこだわっています。

飯沼さん
コロナの影響もあり、自分自身もわざわざ足を運ぶ価値がないところへは行かなくなったので、各施設が独自性のある企画になっています。映画館もホテルも、ナイトエンターテインメント施設やその他用途もコンセプトを立ててしっかりやっていこうというもので、前例主義ではなく、新しい業態・コンセプトにチャレンジしています。
現在自主イベントで行っている取り組みですが、いつか大きなステージで披露できるようになってもらおうと、路上アーティストを連れてきて育成のようなことをやっています。演奏場所は公開空地やシネシティ広場を使いながら、ここが音楽やエンターテインメントの聖地だよねと言ってもらえるような場所にブランディングしていこうと考えています。

歌舞伎町タワーの屋外ビジョン及び屋外ステージと隣接するシネシティ広場を一体活用した「屋外劇場的都市空間」の実現に向けて

飯沼さん
屋外劇場的都市空間を実現するのには色々なハードルがあります。(歌舞伎町タワーが運営に関わる)民地と公有地がありますが、歌舞伎町タワー側の民地の200㎡の大型ビジョンには景観条例・屋外広告物条例、広場は新宿区道なので道路法(および道路交通法)が適用されます。その中で、利用しやすいものをいかにつくるかという観点で継続して協議してきました。

これらは、行政やエリマネ組織と協業して、全て特例を活用して制約をクリアにしていますが、景観条例・屋外広告物条例は地域でルールをつくって審議会で諮り、イベントをしながら企業広告を出せるようルールを変えていきました。また、国家戦略特区の建付けによって道路空間でもイベントができるようになっています。あとは、利用者が屋外ビジョン、屋外ステージ、シネシティ広場を借りたい時の一時窓口を東急グループが担っています。地元のエリマネ組織と情報共有をしながら管理をスタートしています。

田中さん
(実際には区道のため)広場は道路のルール上、都度新宿区への占用許可と警察への使用許可を申請する必要があり、活用の難しさもあって利用者が増えていきませんでした。広場は企業広告を出せなかったので、宣伝したい企業にとってのメリットが見いだせない場所でもあり、そういった煩わしさから解消するお手伝いをしながら、緩和を促していったという背景があります。
一体活用ができる枠組みにしたので、なるべく一体利用を促進する営業を行っており、屋外ビジョンと屋外ステージの他に、シネシティ広場も一緒に貸出窓口を行っています。徐々に問い合わせが増えてきた中で、歌舞伎町タワー開業を目前に控えた時期に映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編-運命-』のレッドカーペットイベントなどを実施することにより少しずつ効果を感じられています。

写真提供:
『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-/-決戦-』(4月21日(金)/6月30日(金)公開)
■配給:ワーナー・ブラザース映画
■コピーライト:©和久井健/講談社 ©2023 映画「東京リベンジャーズ 2 血のハロウィン編」製作委員会

写真提供:2023年4月13日(木)に実施された歌舞伎町タワー開業前日セレモニーの様子

開業後の反響、歌舞伎町エリアの今後の展望について

飯沼さん
開業前の来街者とは異なる層の方が来るようになりました。近所にあるゲームセンターやコンビニの売上が上がった話を聞きます。たくさんお客さん来てくれることがウェルカムなまちなので、ポジティブな影響があると言ってくれる方が多いです。
歌舞伎町は面白いカルチャーやお店がたくさんありますが、いきなりそこには行けませんよね。歌舞伎町タワーはみんなで来られる安全な施設なので、まずはここからスタートして基点となるような場所になればと考えています。ホテルに泊まって、まちで遊んでいただけたら嬉しいです。

田中さん
歌舞伎町1丁目は平日夕方から翌早朝、休日も正午から翌早朝まで車両の交通規制があり、歩行者に配慮されていることもあって、歌舞伎町のライブハウスを回遊できるサーキットフェス「CONNECT歌舞伎町(※2023年に終了)」が歌舞伎町商店街振興組合の方によって行われていました。まちの観光資源、スポット同士を繋ぐようなイベントが行えるようになっているので、歌舞伎町タワーだけではなく、歌舞伎町タワーを中心に歌舞伎町全体を安全に楽しんだり、スポットを繋ぐような取り組みの一部になったりしていければと考えています。

歌舞伎町が夜のまちと言われる中で―振り返ってみての苦労

飯沼さん
国家戦略特区の許可がおり、工事着工したところでコロナの大打撃があり、ホテルとエンターテインメントの全部が大ダメージを受けました。会社としてもこのプロジェクトの継続について経営層の中で議論となり、中止も一つの選択肢にありました。最終的には、社長からゴーサインがあり、最高の環境でお客様を迎えるために換気等の設備増強の設計変更をし、開業が半年ずれ込んだのですが、結果的にはコロナの落ち着いた最高のタイミングで開業することができました。(コロナ禍の)2019年当時、暗中模索で不安な日々が続きましたが、いつかは回復するし、都市の強さ・リアルの価値は絶対にあると信じて、開業に向けてチーム一丸となってプロジェクトを推進していました。

田中さん
2020年当時、マーケットが戻るのも2025年くらいだと言われていました。東急100周年事業でもあったので、アフターコロナのシンボルとして進めていきましたが、一部ホテルのターゲット割合も国内向けに切り替えたりした部分もありました。2025年まで戻らないと考えていたので、あと2年頑張ろうと、決意を固めたのですが、蓋を開けてみたら良いタイミングで戻ってきたという、想定外の結果になりました(笑)

(取材を終え、歌舞伎町タワー2階の新宿カブキhall~歌舞伎横丁で撮影。左:飯沼さん、右:田中さん)

取材を終えて

歌舞伎町に対して一部ネガティブな先入観も抱きながら臨んだ今回の取材で、まちとしての成り立ちと歴史、地域資源、人の魅力と様々な切り口からお話を聞くと、多くのポジティブな側面に気づきました。コロナ禍によって変化した価値観を取り入れたり、エリアのポテンシャルを最大限に引き出したりする取り組みの一つひとつにストーリーが込められていました。歌舞伎町タワーを訪れることをきっかけに、知らなかったエリアの魅力に触れることができそうです。

【開発概要】
・計画名:歌舞伎町一丁目地区開発計画(新宿TOKYU MILANO再開発計画)
・施設名:東急歌舞伎町タワー
・制度:東京圏国家戦略特別区域における国家戦略都市建築物等整備事業
・建物の高さ:約225m(都市再生特区により、容積率900%→1500%まで引き上げ)
・敷地面積:約4,600㎡
・用途:ホテル、劇場、映画館、店舗、駐車場など
・開発前の土地:新宿TOKYU MILANOとグリーンプラザ新宿の跡地
・URL:https://www.tokyu-kabukicho-tower.jp/

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