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「ハラカド」開業! 原宿の変遷と新たなカルチャー創造に不可欠なもの

2024年4月17日(水)、東京都渋谷区の神宮前交差点に商業施設「東急プラザ原宿『ハラカド』」(以下、ハラカド)がオープンしました。原宿・神宮前エリアのまちづくりに取り組んできた東急不動産株式会社(本社:東京都渋谷区) 、東急不動産SCマネジメント株式会社(本社:東京都渋谷区)が運営しています。地下1階・地上7階からなる施設は、計75店舗のテナントが出店しています。

▲ハラカド外観

ハラカドの名前の由来は、“「かど」が合わさり、人々の出会いの交差点となり、新しい文化を生んでいく”という想いから。同じく神宮前交差点にて営業中の「東急プラザ表参道原宿」も同タイミングで、「東急プラザ表参道『オモカド』」(以下、オモカド)に改称し、2館の連携によってさらなる地域の魅力向上を図るようです。

▲オモカド外観

原宿の地域の魅力として思い浮かぶのが、若者文化の発信地であるということ。ハラカドが生まれた背景には、原宿というまちに積み重ねられてきた歴史がありました。では、そもそもなぜ原宿が若者文化の発信地となったのか、少し歴史を振り返ってみました。

原宿ってどんな場所?

代々木公園、NHK放送センター、国立代々木競技場――。ハラカドにほど近いJR原宿駅の西側には、東京の真ん中と思えないほど広大な施設がいくつも存在しています。

▲代々木公園

時をさかのぼること約80年、1945年頃。一帯は第二次世界大戦まで「代々木練兵場」という日本の軍事練習場がありました。日本が敗戦した後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、アメリカ空軍とその家族が暮らすための巨大住宅地「ワシントンハイツ」が建設されました。

▲1954年 ワシントンハイツ全景 (Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由)

未知なる文化を受け入れ、共存してきた原宿

ワシントンハイツ内には住居だけでなく、教会、学校、商店、グラウンド、劇場も立ち並ぶなど、1940年代当時のアメリカ文化が忠実に再現されていました。敷地内は塀で囲まれ日本人の立入は禁止されていましたが、子どもたちは比較的自由に出入りできたのだとか。

周辺に住む日本人は脅威を感じつつも、それまでの常識とは異なる自由な生活様式に憧れを抱いたと言われ、現在の原宿駅から神宮前交差点辺りにかけて、次第にアメリカ文化を取り入れた日用品やファッションを扱う店舗が増えていきました。

▲1950年に開業したキディランド原宿店も当時は米軍とその家族向けの店だった

ワシントンハイツは1964年の東京オリンピック開催時に選手村へと姿を変え、その後、日本に正式返還されます。

▲代々木公園内に残る選手村の宿舎

それ以降も、原宿は国内のみならず、世界中からも観光客が訪れる国際色豊かな場所として一層にぎわいを増し、住環境やインフラも急速に整備されました。1970年代後半には原宿のメインスポットとなる「竹下通り」「ラフォーレ原宿」などが誕生。多くの若者がトレンドの最先端に触れようと集まる“ファッション&カルチャー”のまちとして、不動の地位を誇るようになりました。

新たな文化創造発信を行うプラットフォームに

東急不動産はハラカドのコンセプトを「多様な人々の感性を刺激する、新たな原宿カルチャーの創造・体験の場」と掲げています。
原宿の地をどう捉え、今回の開業を考えたのでしょうか。ハラカドの運営管理を受託する東急不動産SCマネジメント株式会社の小柴るみさん(以下、小柴さん)に話を聞きました。

▲東急不動産SCマネジメント株式会社の小柴さん
小柴 るみ さん
東急不動産SCマネジメント株式会社
運営推進本部 第1運営部/原宿プロジェクト推進課 課長
東急プラザ原宿「ハラカド」・東急プラザ表参道「オモカド」総支配人
2022年10月からハラカドの施設運営と広報業務を担う。

小柴さん
「東急不動産はこれまで路地の一角にあるギャラリーカフェ「The Unknown Cafe Gallery Harajuku」や、ファッションコミュニティ施設「ニューメイクラボ(NewMake Labo)」を運営し、クリエイターの育成・発表の拠点づくりに取り組んできました。原宿に張り巡っている路地には多種多様な文化が息づいています。そんな『路地』と『交差点』の特徴を踏まえ、才能を発掘し、伸ばす『路地』と、才能が開花し、発信される『交差点』を連動させ、原宿・神宮前エリア全体で新たな文化創造発信を行うプラットフォームにしたいと考えました」

小柴さんが話すように、ハラカド館内にはアート、ファッション、フード、デザインなど多岐に渡るジャンルのテナントが並んでいます。一棟そのものがギャラリーのようでありつつ、予定調和と感じるような整然さがなく、本当に路地裏を散策しているような感覚も味わえます。

商業施設という場所において“モノを売る”ことに主眼を置かず「発信のプラットフォーム」と定義することに迷いや葛藤はなかったのでしょうか。

小柴さん
「コンセプトの決定には多くの議論を重ねました。商業施設が“モノ消費よりコト消費”と言われ始めてから時間が経ちますが、近年はさらに“トキ消費”や“イミ消費”の重要性も語られています。
もちろん商業施設なので買い物も楽しんでいただきたいのですが、ハラカドに来ることに意味がある、と感じてほしい。店舗のラインアップも、物販以外のスペースやコミュニティ形成の場として楽しめる場所を多くそろえました」

“サウナがない”小杉湯出店の意義

東急不動産が最初のプレスリリースを出した際、各メディアがこぞって取り上げたのが「小杉湯」の出店でした。「小杉湯」は以前、エリマネこでも取材に伺った高円寺の老舗銭湯です。

小柴さん
「なぜ銭湯?と感じた方も多いと思いますが、銭湯は元々まちのコミュニティが形成される場所。ここハラカドにおいても、日常的に立ち寄るコミュニティ拠点として地域に根差していきたい意味合いが強く、そこは小杉湯さんと想いが重なる部分でした。原宿の街に暮らす人々と『原宿らしさ』を作り出していける場所をめざします」

▲地下1階に登場した銭湯「小杉湯原宿」
▲きれいで、清潔で、気持ちがいい湯が毎日沸く

2019年ごろから世は空前のサウナブームで、全国にも多くのサウナ施設が誕生しました。銭湯の出店でサウナを期待する声はなかったのでしょうか。

小柴さん
「『サウナはないの?』というご質問は多く受けます。サウナブームに乗っかって、この商業施設は銭湯を入れたのだろうと。流行があったからこそ注目が集まる部分もありますが、トレンドで銭湯を出店したわけではないのでサウナはないんですよね。ハラカドに銭湯がある意義や、コミュニティを重要視していることを、わたしたちが丁寧に伝え続けていかなきゃいけないなと思っています」

ハラカドから生まれる「共有→共感→共創」の循環

開業前に話題を呼んだもう一つのトピックに「ハラカド町内会」の取り組みがあります。ハラカド町内会とは、ハラカドに集うクリエイターや企業が施設運営に関わり、自らイベントやコンテンツを企画し発信していく試みです。これは今どのような動きなのでしょうか。

▲ハラカド町内会(ハラカドwebサイトより引用)

小柴さん
「開業前は出店者のコアメンバーが参加して、施設の方向性などを議論する場として機能していました。開業後はまさにまちの町内会と同じ、ハラカドの出店者さまが誰でも参加できるようなオープンな場として運営しています。
皆さんハラカドのコンセプトに共感してくださっているので、町内会への参加希望の声は多くいただいています。やはりコミュニケーション力や発信力がある方々なので、我々が介在せずともテナントさん同士で繋がって、すでに共創の種が生まれているようです。
同じマインドや感覚を持った人々が互いに感性を刺激し合ったり、応援し合ったりして、次の発信や表現が生まれるような循環に繋がっていけばと期待しています」

インタビュー後に改めて館内を回ると、時代を先取りするフードやスイーツがあり、大胆なアート作品があり、価値観が磨かれるテナントが並び、トップクリエイターが目の前を行き交い…と、自分の感覚が揺さぶられ、更新されるように感じました。多様なヒト・モノ・コトが集結する原宿の地だからこそ、うねりを醸成する施設の誕生により、さらなる融合や発展に繋がる予感がします。
皆さんは、どんな「新たな原宿カルチャー」の体験に心を惹かれるでしょうか。発信される原宿の新たな一面に、ぜひ出会いに行ってください。

▲交差点から屋上を見上げると、ハラカドとオモカドの人々が手を振り合っている
東急プラザ原宿「ハラカド」webサイト:https://harakado.tokyu-plaza.com/

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