エリマネこ

まちを、エリアを楽しくするお役立ちメディア

150→3,000、そして・・・〜ハロウィンイベントの生みの親、⼟岐⼀利さんインタビュー〜

▲エリマネこ編集部撮影 笑顔で話す土岐さん

「多様な人々が交わり、賑わいを生み、地域への愛着を醸成」するため、最早エリマネ活動の定番となり、全国数多の団体が開催する「ハロウィンイベント」。

子供たちがお菓子を貰って回るだけの海外⾏事は、日本では仮装やパレード等、コスプレをして盛上がりたい若者をも取込み、正に多様な層が交わるイベントに進化しました。その本格的ハロウィンイベントが初めて開催されたのは1997 年。川崎駅東口に近い商業集積「ラ・チッタデッラ」を展開する一私企業、チッタ・グループ(以下、チッタ)によって、でした。

当時はチッタ単独主催、サクラを入れても僅か150 名の参加者だった「川崎ハロウィン=通称カワハロ」は、コロナ禍でイベント終了する直前の2019 年には、主催25 団体、パレード参加者3,000 名、観客動員数12 万人、マスコミ露出広告費換算5.6 億、東京ディズニーランドの担当者まで視察に来場しパレードに取り入れたほどのビッグイベントに成⻑しました。

▲文字通り、沿道を埋め尽くすパレード参加者と観客たち

今回は、その生みの、そして育ての親、当時のチッタ宣伝部⻑、⼟岐一利⽒にインタビュー。エリアブランディング、そしてイベントを成功裏に導く企画・運営の観点からお話を伺いました。

ーーまず何故「ハロウィン」だったのですか

岐さん 1987 年にチッタが開業したシネコンの10 周年記念イベントをやることになったのですが、映画繁忙期の夏休みや正月、GW を外していくと10 月辺りがちょうどいい。10 月だったら︖とアイデア出しした中「ハロウィンって10 月?︕」と。仮装やお化け要素も映画と相性がいいし、ほぼ他でもやっていないし、となったんです。

ーー最終的には凄い規模になりましたが。

岐さん 当初は「ハロウィンって何するの︖」という状態。仮装して参加して、と言っても⾒向きもされず、人がいないと格好つかないので、社員は勿論、劇団にまで声をかけ、それでも仮装する人は足りず、絵的にはただテクノミュージックを鳴らして踊っているだけの初回でした。それが日本最大のハロウィンイベントと呼ばれ、国内メディアのみならず、BBC はじめ世界中でも取り上げられ、パレードも川崎駅東口一帯、片側3 ⾞線の凄い交通量のところを⾞両規制するまでになりました。

▲目覚ましい伸びを示した観客動員数

ーーその成功までの苦労話は尽きなさそうですね。

岐さん 道路使⽤許可を取るだけでも何十回と警察に通いました。最初は「道路を規制してパレード?︕」、と門前払い。チッタは地元の老舗企業、警察との関係も良好でしたが、それでもです。短いパレードコース沿いの商店街の承認も店一軒一軒回り、拝み倒してやった初回でした。

参加者も徐々に増え、話題になり、10 回目ぐらいからは逆に人数制限です。10 万人規模の観客が駅周辺に集中するので、人も通れない。それをどうやって通すか、と、警察の指導の下、警備員を大量に入れ、という苦労に変わっていきました。

ーー生みの苦しみから弾みがついた要因は何だったと

岐さん 当初から仮装のクオリティが高かったのが一つ。仮装コンテストの初回は地元の子がグランプリでしたが、2回目はその後プロになった方の特殊メイク。後で気づいたのですが、カワハロが美術・クリエイティブ系の学校の授業の一環のようになっていったんです。あの学校に負けるなと競い合ってくれたお陰でどんどん質が上がり、カワハロ目がけて全国から才能が集まる。それが面白くて観客が集まり、その様子が面白くてメディアが集まり、という好循環が生まれるようになっていきました。

▲仮装もプロ並みのクオリティに

また、例えばブロッコリーの仮装をした子たち。4 人揃うとブロッコリーか、と分かるのですが、1 人ずつバラバラに電⾞で来るので、何か得体の知らない人が・・・、とネットがざわつき始める。拡散しやすい、分かりやすい・・・これも要因だと思います。

トピックスにも事欠かなかったですね。10 何年かぶりにエピソード1 が公開され大ニュースになったスターウォーズが宣伝の一環としてカワハロでスターウォーズ・パレードをやってくれたり、マドンナのバックダンサーだったAya Bambi が面白がって舞台上で踊ってくれたり、メイン・ビジュアルを世界的写真家のレスリー・キーが撮ってくれたり。それらで、報道が飛躍的に伸びたのも大きいですね。

ーーそうしたいい流れを生み出せたこともですが、⼀企業としてのニーズを超え、川崎というまちのブランディングとして成功した、というようにも⾒えます。

⼟岐さん 当初から、川崎をもっとPR し、感度の高い若者を呼びたい、というのがあったんです。当時、買い物や食事、デートと言えば川崎を飛び越え東京や横浜へ。勿論今でもそうですが、川崎にも楽しいこと、いいところはある、とアピールしたい。そういう思いで始めたので、メディア露出を一番の目標にしました。

ドイツにラブパレードという大規模テクノパレードがあるのですが、そういうものを知っているのは六本⽊とか渋⾕のクラブで遊んでいるような子たちなんです。そういう、普通川崎には来ない子たちが「川崎面白いぞ」って言ってくれれば、ちょっと川崎のブランディングになるかも、と。なので、2 トントラックに大型PA を積み、爆音のテクノ音楽で先導するパレードを組んでみたんです。

反面、地元には受入れられにくいだろうと思っていましたが、意外に地元の人たちも「面白いね︕」と。祭り好き気質ですね。なので、徐々に分かりやすい音楽にしていったら、その客層も増えてきました。

遂には川崎市がこのイベントは素晴らしい、応援したいので補助⾦出しましょう、と。チッタのニーズを取るか、このイベントを更に大きくしてまちの活性化を取るか。で、後者に舵を切りました。川崎が盛り上がればチッタにも返ってくる。だからアングラ的な感覚から大衆的で地域密着感のある方向に少しずつ寄せていったら、遠くから⾒ているだけだった商業施設や商店街も一緒にやりましょう、となり、更にNHK が「日本最大のハロウィンパレード」と言ってくれたお陰で地元のクレームも消えました。

もう一つは、まちのイメージアップにつながる話題づくり、です。

例えばLGBT の勉強をして様々なコミュニティにアプローチし、レインボーパレードをジョイントさせたり、流⾏り始めたダイバーシティという言葉を軸に、多様性、例えば⾞椅子の方たちにも参加してもらうには?と、チームを作って取り組んだり、川崎は観光ネタに乏しい反面、羽田には近いのでインバウンドを呼び込もう、と英語ページを作って拡散、外国人集客にも成功しました。

▲車椅子でも楽しめる体制に

そうした取組みが奏功し、2018 年には580 のメディアに取り上げられました。TV も33 媒体、全キー局のバラエティと報道番組が取り上げてくれました。

ただ、これには例の、渋⾕で起こったハロウィン騒動も影響しています。当時、メディアが連日大報道して、渋⾕が何故こんなことになっているのか、一方、何故川崎はこんなにうまくいっているのか、と常に比較され、激賞されたんです。

▲テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」での渋谷との比較

でも最終的には激賞されたことが足かせにもなったんです。なんだ、カワハロも渋⾕と変わらないじゃないか、と言われたら積み上げてきたブランディングが台無しになる。ただ完璧を目指せばいくらお⾦をかけても足りない。渋⾕の事件やハロウィンのイメージ悪化が終焉のきっかけにもなったんです。ただ最早チッタだけのものではないので、プロジェクト委員会に掛け、全員の賛同を得、市⻑のところにも⾏きました。市⻑は「止めないで欲しい」、と言ったんです。「これは川崎の財産なんだから」、と。

ーーブランディングの成功が終焉にさえ繋がった、と。もう⼀つ、あれだけの規模なのに、カワハロはイベント自体が自然に市⺠のものになっていった、という気がします。イベントをやり手から参加者の手に渡していく、その難しさがある中で、そこが成功した理由は何だったと︖

⼟岐さん 正直、当時僕には仮装の楽しみが判っていませんでした。ただ社員に仮装を強制したので、僕もやらないわけにいかない。だから皆より恥ずかしい仮装をしたんですが、あれ、なんかこれ気持ちいいな、楽しいな、と。自分じゃない自分になれる。仮装の持つ魔⼒、が先ずあると思います。

それから、警備等は緻密にやりますが、実は参加者がどう楽しむか、という点では、仮装して怪我なく楽しんでくれればいい、くらいでした。が、3〜4 年目ぐらいから参加者たちが自然に変化して、知らない間にカワハロ・オフ会が出来ていたりと様々なコミュニティが自然に出来てきました。

それから、カメラ。とにかく皆写真を撮る。ハロウィンは写真を撮りたいイベントなんだ、と後で気づきましたが、写メ時代がやってきて一層拍⾞がかかる。写真が残るからどんどんクオリティが上がり、オリジナリティが出てくる。東急ハンズで買ったものじゃつまらない、と工夫するようになっていきました。

また、1 号から50 何号くらいまでいる仮面ライダーがカワハロに全員結集、一緒に歩くのが彼らには年に1 度の楽しみ、というように、様々な人たちが自由な遊び方を生み出し、やりたいようにパレードを作っていった。それが⾒ている人にも面白い。

街の広がりも、です。各商店が自ら飴を⽤意し、子どもが「トリック・オア・トリート」って言ったらあげよう、と。多分この企画の参加店舗数も日本一です。警備にせよ、この規模のパレードでは500 人ぐらい警備員が必要ですが、半分はボランティアを買って出てくれた地元の商店街の人たちでした。

僕らのやったことは、リアルな場でも、ネットやSNS 上でも皆が自由に遊び回れるような環境づくりだけです。あまり余計な口出しはせず、公序良俗に反すること以外、何でもOK にしよう、と。綺麗ごとじゃなく、参加者が面白くしていってくれた。僕らはただ、参加者が自由に遊べる場を作ることに徹してきたんです・・・。

ーーその方で、締めるところは締め、安全管理を怠らない、という・・・。

岐さん 当時、渋⾕の件で多数取材を受けた際言ったのは、渋⾕とはそもそも比較にならない、と。当時の渋⾕のハロウィンは自然発生的に人が集まっての大騒ぎで、管理者も不在でした。川崎には管理者がいて、参加意思を確認して参加してもらっている。ただふらっと来て酒飲んで大騒ぎ、とは圧倒的に違ったんです。なので全部が自由な訳じゃなく、ある種のルールを設けつつ、ギリギリの線を整理していました。

例えば仮装でも皆アニメ好きだから本物みたいなガンを作ってくる。でも、それでコンビニに入られたら強盗と間違えられかねない。肌の露出もどんどん際どくなって、どこまでなら良しとするか、という線引き判断は最後の頃の悩みでした。僕らとしては誰でも参加出来、自由に遊んでほしいんですが、注目されればされるほどルールを増やさざるを得ないというジレンマ。困った時のマニュアルがどんどん厚くなる。やはりあまりに規模が大きくなると限界があります。

事故が起きる前に、皆に「楽しいね」と言って頂いているうちにやめよう、というのが僕らの合言葉になっていったんです。そして渋⾕が大騒ぎになり、やめる決断をしました。2020 年を最後に、皆に「やめないでほしい」と言われながらやめよう、と。結局コロナになり、最後、リアルなパレードは出来ませんでしたが・・・。

ーーやめる決断したのは辛く勇気のいることだったと思います。でも誰もが自由に参加して楽しく、しかも安心安全なカワハロ・マインドが日本中で引き継がれていくといいですね。

今日は有難う御座いました。__

(写真素材提供:株式会社チッタエンタテイメント)

執筆: 福島 幸一
編集: エリマネこ編集部

最新の記事をメルマガ配信中(不定期)

Twitter

情報登録を受付中!

Return Top