さらに、2011年までに供給されたマンション数首都圏駅別ランキングでは、川崎・豊洲に次ぐ第3位。全国的な少子高齢化の中で、25 歳から 34 歳未満の人口割合が高く、年々人口が増加しているニュータウンです。商業施設、マンションの開発ラッシュのただ中にある武蔵小杉。その歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。
宿場町から工業の街へ
武蔵小杉駅のある中原区は、東海道の脇街道だった中原街道の小杉宿として栄えます。東海道は大名行列が往来し、そのわずらわしさから、中原街道は庶民や商人が多く利用していました。近代になり、工場やメーカーの事業所が集積し始めました。自由が丘や田園調布など高級住宅地のイメージがある東急田園都市線の沿線の中では、工業エリアのイメージが色濃くあるエリアでした。工場の移転を契機とした開発の盛り上がり
その工業の街、武蔵小杉に変化が訪れたのは2010年ごろ。横須賀線武蔵小杉駅の整備が進められるとともに、工場の移転が相次ぎ、その跡地にタワーマンションが続々と建てられました。新聞輪転機印刷分野で最大手である東京機械製作所の製造所跡地にオープンしたのが、冒頭のグランツリー武蔵小杉です。
出典:武蔵小杉/ペン太
武蔵小杉に住まう人々の特徴のシンボル”グランツリー”
工場の跡地だったという名残は、ひっそりとプレートに残されているのみ。 テナントには、ビームスやトゥモローランドといったセレクトショップなど、セブン&アイ傘下にあるイトーヨーカー堂の商業施設「アリオ」とは一線を画した、ワンランク上のショップが並んでいます。それも、タワーマンションの建設により、世帯年収1000万〜1200万、30〜40代の感度が高い層、シロガネーゼ・ニコタマダムならぬ「ムサコ妻」が住む街になったため。
江戸時代の庶民的な街、近代の工業的な街から、二子玉川や豊洲のように、高級志向の人たちの住まう街へと、大きな変貌を遂げています。駅北側地区にも、進行中の開発が残っているため、30~40代の子育て世代の人口増の流れは今後も続くでしょう。
しかし、同じ世代が多く流入しているということは、今やオールドタウンと呼ばれる多摩ニュータウンのように、数万人が一気に高齢化する可能性があるということ。住民の新陳代謝を促す、もしくは、何世代にもわたって住み続けたい街となるために、単体の商業施設にとどまらない、エリアとして総合的に魅力を上げていく取り組みが今後より重要になっていくのではないでしょうか。
平日にも関わらず親子連れで多く賑わうグランツリー武蔵小杉




